inferno@kazan スペシャルインタビュー 井田 邦明さん

イタリアミラノを中心に活動されている井田 邦明さんに立本夏山がインタビュー!

イタリアにおける「ダンテ」、演劇、舞踏、様々な角度からお話を伺いました。

井田 邦明,立本夏山,インタビュー,対談

ーPROFILEー
井田 邦明 (演出家 演劇教育者 俳優 プロデューサー)

井田邦明国際演劇学校(在ミラノ)学校長
ミラノ市立パオロ・グラッシィ演劇学校(前・ピッコロテアトロ演劇学校)講師

'50年横浜生まれ。桐朋学園大学演劇科卒業後、安部公房スタジオに所属。

'73年に渡仏しジャック・ルコック国際演劇学校入学。'75年卒業後、
イタリア・ミラノを中心に活動を続ける。'89年よりミラノ市立パオロ・グラッシィ演劇学校(前・ピッコロテアトロ演劇学校)で、演技・演出・ドラマトゥルギーの講師をつとめる。'91年井田邦明国際演劇学校を開校。演劇教育の他、現在舞台演出、オペラやイタリア歌手ミルバのコンサート演出なども手掛けている。

ー立本
本日はお忙しいところお越しくださりありがとうございます。お話し伺えるということでとても楽しみにしてきました、どうぞよろしくお願いいたします。


ー井田
いきなりにはなるんだけど、何年か前に、アメリカのオスカー賞を取った、『ライフ・イズ・ビューティフル』だったかな?ロベルト・ベニーニというすごくいい喜劇の役者がいるんですけど、彼が少年をキャスティングして、戦争反対じゃないんだけど、チャーリー・チャップリンの『キッド』(The Kid)みたいな映画をつくったんですね。


「地獄」から、「煉獄」、「天国」という具合に長くやったんですよ。
でも、どっちかというと彼は喜劇役者で、一方ダンテはどっちかというと悲劇。それがちょっと面白くて「悲劇の中に喜劇がある」ような感じですね。


もしダンテをやるなら、現代的に・・・

それは「地獄」の方が面白いですよ。やっぱり「天国」になっちゃうと難しいじゃない?どこが難しいかというと、人間って面白いと思うのはそこで何故か「地獄」のことはイメージできるんだけど、「煉獄」や「天国」
のイメージはうまくできないんだよね、舞台では。何故かというと、「葛藤」がないからということになるわけなんだけど。君は「地獄」の方をやるけど、天国ではないんでしょう?



ー立本
コロナになる前は、地獄篇・煉獄篇・天国篇で3部作が当初のスタートだったんです。コロナになり延期ということも含めて、色々読んで上演どうするかって考えていく中で、日本で煉・獄天国を日本の観客にいい具合に届けるっていう方策が全然思い浮かばなくて。

ー井田
難しいと思う。演劇的にするのがすごく難しいなあと思った。僕が1番好きだったのは、1番最後のベアトリーチェを見つけた時に女性じゃなくて「光の輪」って言うのが、ああいうイメージの、見えるけど「光」だ。粒子であり、波であり。そういうものに転換するというのが、ダンテは優れているなと思うけどね。


話は変わるけれど、みんな向こうの学校ではダンテを勉強しなきゃいけない。子どもたちの感性だと、1番面白いという感想が多いのはやはり地獄。いろんなイマジネーションが出てくるみたい。


君はどう思うかわからないけれど、日本だとダンテの地獄でも、芥川の地獄篇っていうのもありますよね。「地獄」っていうイメージで入って行くとね、日本の「地獄」のイメージは恐らく仏教の「地獄」というところに近い。イタリア人としては暗い世界のなかの喜劇っていうのが存在するような感じ。要するにキリストが、神様がいる、という中世的な考えが基にある。そして中世が終わってダンテが出てくる。


もう少し他の話を加えて説明してみると

ジョット・ディ・ボンドーネという素晴らしい絵描きがいて、パドヴァとか見ると真っ青の…それこそミケランジェロのバチカンにある最後の審判みたいな有名な作品がありますよね。(スクロヴェーニ礼拝堂 最後の審判)あれよりもっとすごいブルーをパーッと…。

ジョットというのは、一番最初の絵描きと言われていて「人間性」っていうのが出てきて。眼なんかカクっとしていて「人間の顔」が出てくるんですよ。中世のときには、マリアでも仮面みたいな感じだけど、それが生き生きと人間の情感みたいのが出てくるの「ジョット」の絵からなんですよ。その時代にダンテが出てくるわけです。つまり、その感性がそこにある、現れたというわけ。

ジョット【ユダの接吻】1305年
ジョット【ユダの接吻】1305年

ダンテは追放者。僕もある意味、追放されたのかもしれない(笑)。要するに人生の旅の中、家がない人みたいなもの。
君のように演劇を続けている、彼は死ぬまで。フィレンツェの過去の事を地獄じゃないんだけど、そういうキリスト。凄いキリスト教徒なんですよ。

 
 

ー立本
はい。

 

ー井田
だからその世界の中で喜劇性というのは「人間を笑う」っていうのかな、笑う強さっていうのはありますよ。

日本人はなかなか笑わないんですけど、笑って自分たちを人間を「肯定」する。それは「バカにする」や「パロディ」じゃなく。
要するに、笑わなきゃいけない強さっていうのかな。まあ悲劇っていうのは”垂直線”で神がいて、人間がいて、その下に地獄がある世界だけど。

コメディって”水平線”なんですよ。人間と人間との関係の駆け引きなんですよ。
神がいなくなると人間味が出せるんですよね。例えば、レオナルドとかミケランジェロなんかはそう。それでみんなが解剖して「真実ってなんだろう?」とみんなやりだしたわけ。


ダンテも「俺を追放したあの馬鹿たちはなんだ!この社会はなんだ!この社会ははなんだ!」って言う想い。「キリスト教と人間性というのは理想とあまりにも違うんじゃないか、この社会は...」と言うことで、ある意味を自分なりに書き出したんじゃないかなと思います。


気をつけなきゃいけないと僕は思うんだけど。「地獄」に行った時に、「喜劇」と「悲劇」というのかな?ある種の聖なる…、なんて言うのかな…神聖というのは。「笑いの中に悲劇性」というのがあるんだよね、イタリア人にはある一種のコントラストというか。

 

ー立本
僕が読んでて面白いのは、1番最初の書いてある、人生の道の半ばで暗い森の中に入ったといところから面白いんですけど。しかも登場人物がダンテ本人じゃないですか。自分のことを客観的に見て、暗い森の中に入って。それで導かれて、右往左往しながら。自分の恨みみたいなこともいっぱい書いてあって。ぜんぜんキレイキレイでもないし、なんか泥臭い。



ーつづくー